僕は芸術家になりたい
今更になって初めて言及するのだけれども,
ブログのタイトルにある通り,自分の中には,
人に負けたくない,区別されたいという気持ちが昔からあって,
結局それは,自分がほとんどの物事に才能がないことに起因すると思う.
それに関連して,昔から,僕は何らかの形でcreatorになりたいと思っていた.
理由は簡単で,
creatorというか,いわゆる芸術家って,唯一無二の存在というか
identityが担保されている人間の1人というか.
上位互換という概念が芸術家には存在しないので,
芸術家になることで,誰かの下位互換になることはない.
そう思って,
昔から絵を描いたり,小説を書いたり,
動画編集とかしたくなる瞬間が何度もある.
ただ,自分は何らかの形で報酬があったりとか,
自分の納得するようなことにならないと飽きるので,
だいたい,線画を数時間かけて描いたり,最初の数行のストーリーを書いたり,
なんならペンタブを8000円くらいで買った瞬間,
motivationがなくなって ,
「何でやろうと思ったんだろう?」ってなって,
結局,続かない.
ただ,作品を観賞することは好きで結構続く.
作品と言っても,いわゆる絵画とか小説とか映画もそうだけど,
普通に漫画とかアニメとか,JPOPとかも作品として見なすことが好きで,
作品に宿る意図とか形式を自分なりに抽出したり,
それをpattern化して,自分の中で分析,分類するのが好き.
もしくは,人の分析をネットで見たりして,
さらに自分の考察を付け加えるのが好き.
これは完全に宮崎駿がどっかで言ってたことの受け売りなんだけど,
sourceは多分,テレビ番組かなんかだと思うけど,
「実際に子どもが好きで,観察したことがないと,アニメで子どもを描けない」
みたいな事を宮崎駿は言っていて,
つまり,アニメだけ見る人間は,面白いアニメを作れない.
なぜなら,アニメは現実からの類推により表現されるものであって,
アニメは作者による,現実の恣意的な表現でしかない.
アニメを見るだけでは「作者を通した現実」しか見ることができない.
「自分を通した現実」を表現するには,現実を自分で体験するしかない.
ということだと思う.
まあ実体験が重要とかいうのは,色々なcontextで言われることだからいいとして,
ちょっと宮崎駿の発言とは,論点がずれるかもしれないけど,これの受け売りとして,
僕の中の法則として,
「いい作品を作るcreatorは,多種多様なmediaに触れている」
というのがある.
最近,僕は研究室に入って,ちっぽけながら知ったことは,
研究は,特に工学系の研究は,
天才が0から1をいきなり作るというよりかは,
いろんな論文を読んで,先人の知恵を手に入れて,
それを引用しつつ,まだされてない事をやっていくことだということ.
例えば,一般に「万有引力の発見者」と言われている,Newtonとかも
Keplerが考えた惑星運動の法則を学んだ上で,
万有引力を仮定すれば,それがうまくいくことを思いついた.
同じようなことが,芸術の世界にも言えて,
「こんなのこの作者にしか作れない!」ってのが
実は,既にある作品のpatchworkだったりする.
なんなら,trendがあって,
数年前に存在していたpatternが,
年代を構成する人々が入れ替わることで,
そっくりそのまままた流行したりする.
ドラえもんの藤子・F・不二雄は,海外SF小説をよく読んでいたらしい.
進撃の巨人の諌山創も,海外ドラマが好きで,その話をよくしている.
人気Youtuberも,意外と昔のテレビ番組のパクリをしてることが多い.
音楽家なんて尚更で,
彼らの作品は,生まれてから彼らが聞いてきた音楽に影響されているに決まってる.
最近,ヨルシカが「盗作」っていう名前のアルバムを出して話題になった.
どうやら,作詞作曲のn-bunaさんは,
他人の音楽に影響されて作った曲を「盗作」だと思っているらしい.
確かに,ヨルシカの曲は同じような流れが多いし,
楽器とかギターの音源もどれも似てるから,
なんかruleを持って曲を作ってたのかもしれない.
ただまあ,音楽って何にも影響されないって無理だと思うから,
そういうもんなんじゃないかなあと思う.
「ウケる音楽,親しみやすい音楽」って型があるものだし.コード進行とか.
米津玄師はそれが分かっていて,
結果,ドラマの主題歌で「ドラマの主題歌らしい」音楽と歌詞を作って,
一般に有名になったのだと思う.
その前から,十分有名だったけれど.
ちなみに自分は作曲どころか音楽経験が全くないので,
全て妄想になるんだけど.
だから,芸術家のidentityっていうのは,
0から1を生み出すところにあるというよりかは,
むしろ,0.8くらいの知識に,彼らの感性である0.2を加えて,組み立てる.
その組み立て能力なのかもしれない.
そう仮定すると,
僕が作品や芸術家について分析すること自体,
僕の芸術家としての営みそのものだと言っていいのかもしれない.
感性は多分ないけど.
知識の引き出しの中身をもっと増やすことはできる.
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お察しのいい方は気づいたかもしれないですが,
なんならブログを書くことも,僕の芸術家としての営みの一環なんですよね.
自分の文章を作ることは,自分が自分である証明になる.
見てもらうことも,その証明になるのと,報酬にもなる.
もしかすると,自分は自分のことが好きでたまらないのかもしれない.
少なくとも自己顕示欲はあるだろう.
僕はそんな自分をあまり好きではないのだけれども.
自分なのだから仕方ない.